惣分水口御改め 古文書に見る小平の水 玉川上水と分水p105~108

惣分水口御改め 古文書に見る小平の水 玉川上水と分水p105~108

惣分水口御改正
水量確保の大手術
新井筋

史料69惣分水口御改正請書(小川家文書)

明治三午年
玉川御上水通村々
惣分水口御改正
 御請書写
  五月廿八日村方地先
  小川橋二て
  御請印致候以上
          小川村
 今般玉川上水筋村々引取分水口御改正、在来圦樋御廃、
新規水堀堀割、呑水百人二付水積寸坪三坪、田用水百
坪以上是迄之通り、同以下在来極え三歩明二壱割増被
下置一。樋伏方出来後、洩水有之二おいては、壱日は
壱日、十日は十日之皆水留申付候条、在来場所二て
樋伏替之村方共、右之趣可相心得。其外柳二ても不取
締之儀於有之は、急度咎申付候間、向後遺失無之様、
可相守者也。右之通被抑渡、逐一奉畏候。此段御請申
上候。以上

 明治三午年四月
柴崎村
名主 弥五左衛門
中藤新田
名主 弥一郎
平兵衛新田
組頭 伝兵衛
関野新田
組頭 安右衛門
下小金井村
年寄 八郎兵衛
幡ケ谷村
年寄 代右衛門
梶野新田
組頭 林蔵
境村 名主無之
年寄 仲右衛門
原宿村
役人惣代 賀兵衛
千駄ヶ谷村
組頭 平兵衛鈴木新田
名主 利佐衛門
野中新田
名主弥一郎後見
     杢太郎
大沼田新田
 百姓代太郎右衛門
下小金井新田
 名主宇佐衛門
国分寺村
 名主良助
田無村
 組頭三郎兵衛
 名主半十郎
上小金井村
 名主浅右衛門
無礼村
 年寄藤太郎
下高井戸宿
 名主弥惣右衛門
鳥山村
 名主源之亟
廻り沢村
 名主磯次郎
上北沢村
 年寄 久太夫
千川用水弐拾ヵ村惣代
 千川善蔵
野火止村
 組頭 喜三郎
右野火止堀用水組合
 八ヵ村惣代
上宗岡村
 名主 民吉
殿ガ谷新田
 年寄 長兵衛
拝島村
 組頭 三郎兵衛
小川村
 組頭 茂十郎
土木司
 御出役中様
小川橋での仰渡
史料69の文書により、明治三年五月廿八日、新政府の土木司から係官が出張の上、小川村地先の小川橋に関係三十ヵ村の
村役人を集合させ、
①旧来の分水口を廃し、新規に堀割ること..
②一定の基準により分水の水量を増す。
③今後洩水があったら厳重処罰する。
これらの旨の仰せ渡しがあり、各村役はそれを承知して請印したことがわかる。
 三十余村の村役三十余名(田無村のみ二人、他は一人)が小川橋のたもとに揃って、お上の仰せ渡しを受
けて承知した旨の、請印をする重々しい情景がまず目に浮かぶ。
惣分水口御改正のねらい
 東京市史稿上水篇によれば、改正のねらいは〃隠水〃
の防止にあったようだ。従来幾ら取締りを厳重にして
も、あの手、この手の隠水は絶えなかったし、旧幕時
代はそれなりの行きがかりもあって徹底し得なかった
のを、新政府は決然その防止を断行することにし、そ
の為にはもともと各村への分水量が少ないから起るこ
となので、この際一定の基準により幾分増量してやる。
そのかわり今後もし洩水があったら、假借なく厳罰に
処すると言うのである。
「壱日は壱日、十日は十日の皆留」(洩水一日に対
して皆止め一日、十日には十日の意)を申付けると言
っていて、何かしら"目には目を。歯には歯を"式の
報復主義的制裁の匂いすらある強い言葉で、百姓に厳
守を迫る役所の尋常ならぬ決意が窺われる。
もう一つの同時文書
 史料69の文書には、実はもう
一つの「惣分水口御改正」の
文書があって、同じ袋に入っている。筆跡も同一であ
るが、表紙の「五月二十八日」の下「小川橋」の間に
「村方地先」の四字がなく、署名も順序が多少異なる
が、村も人も全く同じ、だが主文だけは全然別である。
その読下しを左に
 今般、玉川筋分水御仕法替、南北合元樋伏せ込み、
村々引取分水口新樋伏せ方申し渡し、新規分水下し
置かれ候については、元杁樋分量差定めこれあり候
義につき、向後不取締これなきよう仕るべきは勿論
水上村々樋口洩水その外不取締これあるにおいては
水下より、水下の方は水上村々より、厳しく掛合い
に及び、その後、砂川村水見廻役・代田村水番人へ
相届け申すべし。然る上は東京並びに羽村役所へ呼
出し、きっと厳罰仰せつけられ候間、その旨相心得
落度これなきよう、御規則堅く相守るべきものなり。
前書の通り御規則堅く相守り申すべく候。この段御
請け申し上げ奉り候。以上
 思うに、この二つの文書は、同じ場所で同時に仰せ
渡され、同時に請印を求められたもので、前者は、沿
線の分水村々全般を対象としたものであり、後者は、
その中、砂川村水見廻役源五右衛門(拝島分水口より
国分寺村分水口まで)と、代田村水番人文左衛門(大
沼田新田分水口より下高井戸村分水口迄)両名の持場
の村々を対象としたものと考えるべきであろう。
 こう考えれば小川村地先小川橋と言う、この地帯の
ほぼ中間地点を選んで集合させた理由も首肯出来る。
相互監視主義の取締
 後者で特に留意したいことは、水上(かみ)の村の洩水その他の不取締は水下(しも)の村々が、水下の村については水上の村々がそれぞれ相互に監視し合って、不取締があった場合は先ず厳しく掛合って、それを改めさせるという相互監視の態勢をとるべきこと。しかも必ず所管の水役人に届出させ、その上で東京並ひに羽村の役所へ呼び出し、厳罰を仰せつけるということである。
 この二つの文書を併せ読むとき、分水口不取締防止の徹底を期する役所の強い姿勢がうかがわれる。